✒️「心が、まだ一人で待っている場所」

📝はじめに…

こんにちは!
鹿児島カフェ会☕️管理人のオヤマです。

カフェ会☕️や対話の時間の中で、
ときどき
「これは思考の会話じゃないな」と感じる瞬間があります。

・言葉は整理されている。
・考えも、筋も通っている。

でも、その奥で、
心と身体が、まったく別の場所に
取り残されているような感覚。

今日は、
そんな時間の中で感じたことを、
今の正直な言葉で綴ってみようと思います。

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😊


【今、思う。】vol.32
「心が、まだ一人で待っている場所」

先日、
30代で婚活中のその人と、
ゆっくり話をする時間がありました。

話の中に出てきたのは、

・期待外れだった記憶
・陰口を目の当たりにした体験
・深い心の傷を負った瞬間

どれも、
感情をぶつけるような語り方ではありませんでした。

どちらかというと、
「もう整理できています」と言わんばかりの、
落ち着いた言葉選び。

でも、
僕の中に強く残ったのは、
出来事そのものよりも、
その人が、その後どんな構造で生きてきたのか
という感覚でした。

僕から見ると、
その人はどこかで
「自分に期待しない」という形を、
とても上手につくっていました。

望まない。
踏み込みすぎない。
期待しない。

それは、
可能性を諦めている姿というよりも、
傷つかないために選び続けてきた在り方に見えました。

期待しなければ、裏切られない。
期待しなければ、また深く傷つくこともない。

そうやって、
心がずっと自分を守り続けてきた。

僕にはそれが、
「可能性の芽を摘んでいる」というより、
凍らせて、大切に保存しているように感じられました。

対話の途中、
僕は一度、言葉を止めました。

そして、
向き合っていた対話の相手の“思考”に対して、
こう確認しました。

「フィードバックしてもいいですか?」

間を置かず、
その人は
「はい。お願いします。」と答えました。

それは、
思考としての許可でした。

凍らせて、大切に保存してきたものを、
少しずつ溶かすようなフィードバックを、
そっと差し出す。

その瞬間、
心はどうだっただろうか。

今振り返ると、
あの場には、

・ここまで理解しようとする人が現れたことへの驚き
・麻痺させながらも、ここまで一人で頑張ってきた自分への労り

そんなものが、
言葉にならないまま、
静かに立ち上がっていたように思います。

対話の終わり際、
その人はふと、こう言いました。

「ここまで話ができると思いませんでした。
途中、涙が出そうになりました。」

その一言が、
あの時間の本質でした。

思考は、
もう何年も前に前へ進んでいた。

でも、心は、
ある場所で、ずっと一人で待っていた。

理解してもらえるのを。

今、思う。

人が動けなくなるとき、
そこには必ず理由があります。

怠けているわけでも、
意欲がないわけでもない。

ただ、
置き去りにされたままの心が、
まだ
「ここにいるよ」と
待っているだけなのかもしれません。


💬あとがき

このブログは、
誰かを変えるためのものではありません。

前に進ませるためでも、
答えを出すためでもない。

ただ、
置き去りにされてきた心に、
理解が追いつくことを願って書いています。

婚活でも、
仕事でも、
人間関係でも。

「もう大丈夫なはずなのに、なぜか進めない」
そんな感覚があるとしたら、

それは、
あなたの中のどこかが、
まだ一人で待っているのかもしれません。

急がなくていい。
無理に前を向かなくてもいい。

まずは、
その場所に一緒に行って、
ちゃんと話を聞くところからでいい。

この文章が、
同じような場所に
立ち尽くしている誰かにとって、
小さな一致になりますように。

そして、
必要な人に、
ちゃんと届きますように。

【今、思う。】vol.32
「心が、まだ一人で待っている場所」

☕️おわりに…

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

もし今回のブログを通して、管理人・オヤマの視点に少しでも興味を持っていただけたなら、
ぜひ鹿児島カフェ会☕️で、直接お話しできる機会があれば嬉しいです。

あなたの“今、思うこと”も、よければ教えてくださいね✨



いつもこちらのブログを
読んでいただきありがとうございます。

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