📝はじめに…
こんにちは!
鹿児島カフェ会☕️管理人のオヤマです。
「ちゃんとしていれば大丈夫」
「期待に応えられていれば、ここにいていい」
そんな基準で生きてきた人ほど、
ふとした瞬間に、理由の分からない息苦しさに襲われることがあります。
今日は、その感覚の正体について、
僕自身の体験と、実際に寄せられた相談事例を交えながら綴ってみようと思います。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😊
【今、思う。】vol.28
「期待に応え続けた先にある息苦しさ」
今、思う。
「迷惑をかけてはいけない」
この信念を第一に掲げて生きてきたなと。
ずっと、隙間のない世界を生きてきた。
内側では、
・迷惑をかけちゃいけない。
・心配をかけちゃいけない。
・泣いちゃいけない。
・弱い顔を見せちゃいけない。
外側では、
・やることをやっていればいい。
・成果を出していればいい。
・そうすれば、ここにいてもいい。
そんな基準で、生きてきた。
振り返ると、
それは「意識が高い」からでも、
「自分に厳しい性格」だったからでもなかった。
ただ、
誰かが崩れそうな場所で、
自分まで崩れてはいけないと思っていただけだった。
僕の見える世界において
余白がなく、不安定さや依存が見えていて、
「誰かが支えないといけない」空気があった。
だから僕は、
波風を立てない役を選んだ。
問題を起こさない役を選んだ。
冷静で、堅実で、ドライな人間でいようとした。
それは、生きるための選択だった。
この構造は、
大人になってからも、形を変えて続いてきた。
—
僕自身が心の課題を感じて向き合っていくと
実際に僕のもとに相談に来られた方の話です。
30代後半。
仕事は安定していて、周囲から見れば「ちゃんとしている人」。
でも、話を聞いていく中で、
彼女の言葉は、こんなふうに揺れていました。
「このまま結婚しても、たぶん私は幸せになれないと思うんです」
少し間を置いて、こう続けました。
「一時的に結婚できたとしても、その先で別れる未来が、もう見えてしまっていて…」
彼女が感じていたのは、
結婚そのものへの恐れというよりも、
“動機の違和感”でした。
本当は、
誰かと人生を分かち合いたい気持ちがゼロなわけじゃない。
でもその奥に、
ずっと居座っている前提があった。
・両親を安心させなきゃいけない
・期待に応える形で結婚しなきゃいけない
・ちゃんとした選択をしなきゃいけない
その基準で考え始めると、選択肢は一気に狭まっていく。
「親を納得させられる人じゃないとダメ」
「相手の親にも、ちゃんと理解してもらえないとダメ」
そうやって考えていくうちに、彼女は、こんな結論に近づいていました。
「だったら、最初から異性を求めない方がいいのかもしれません」
交流会にも、婚活の場にも行っている。
口では、「いい出会いがあったらいいな」と言っている。
でも、どこか力が入らない。
「いい人がいないんですよね」
そう言いながら、自分でも気づいていた。
行動しているようで、
気持ちがまったく乗っていないことに。
・期待に応えるための結婚。
・誰かを納得させるための人生。
その延長線上に、自分の幸せが見えなくなっていた。
それは、
「婚活がうまくいかない」という話ではなくて、
期待に応え続けてきた生き方そのものが、限界に来ているサインでした。
彼女は、怠けていたわけでも、本気じゃなかったわけでもない。
むしろ逆で、
ずっと真剣に、誰かをがっかりさせない選択を考え続けてきた。
だからこそ、疲れ切っていた。
「婚活疲れ」という言葉の奥には、
“自分の気持ちを後回しにし続けた疲労”が、
確かに横たわっていました。
—
ビジネスの現場でも、同じ構造が現れます。
成果を出し続けてきた人ほど、
「止まること」が許されない。
・数字が落ちたら、価値がなくなる気がする
・迷っている姿を見せたら、信用を失いそう
・弱音を吐いたら、場を乱す存在になる気がする
だから、無理をする。
だから、飲み込む。
だから、誰にも相談できなくなる。
この構造は、
僕自身にもはっきり当てはまっていました。
事業の場面でも、同じだった。
他人には、寛容だった。
未完成でもいい。
ズレたら修正すればいい。
違和感があったら相談してくれればいい。
そう思えていた。
なのに、自分には違った。
中途半端は許されない。
未完成で関わるのは罪。
成果が出ないなら、存在が害。
喉元に、いつもナイフがあった。
成果を出している間だけ、
自分を信頼できた。
止まった瞬間、
迷った瞬間、
分からなくなった瞬間、
「自分がいない方がマシなんじゃないか」
「チームから抜けた方が、うまく回るんじゃないか」
そんな考えが、何度も浮かんだ。
自己否定というより、
自己抑制だったと思う。
これ以上、状況を悪くしないために。
これ以上、誰かに迷惑をかけないために。
でも、あるとき気づいた。
【他人には許していることを、自分にだけ一切許していなかったことに。】
人は未完成だし、
ズレることもあるし、
意図せず誰かを傷つけることもある。
でも、
・話せばいい。
・相談すればいい。
・修復すればいい。
そう思えていたはずなのに、自分だけは例外にしていた。
だから今は、こう思っている。
他者に配慮することは大切。
責任感を持つことも大切。
でも、
未完成なまま関わってもいい。
迷いながら進んでもいい。
違和感があったら、相談していい。
害を一切出さない人じゃなくていい。
調整し、修復しながら進める人でいればいい。
—
今、思う。
これまでの生き方は、
間違っていたわけじゃない。
あのときは、
あのやり方しかなかった。
ただ、
今はもう同じ基準で生きなくてもいい。
誰かの期待に応え続けることでしか、
自分の存在を許せなかった人ほど、
ここから先は
「自分の感覚を含めた人生」に戻っていけばいい。
💬あとがき
「考えすぎだよ」
「動けばそのうち分かるよ」
そう言われて、
かえって苦しくなった経験はありませんか?
もし今、
あなたがこのブログを
カフェ会☕️のあとや、
一日の終わりに読んでいるとしたら——
おそらくもう、
「何もしていない人」ではないと思います。
「ちゃんと動いてきた。」
「ちゃんと考えてきた。」
「ちゃんと、誰かとの関係や未来に向き合ってきた。」
だからこそ、
今ここで立ち止まっている。
婚活でも、
仕事でも、
大切な人との関係でも、
一人で抱え込もうとすればするほど、
・自分の内側の声
・相手を大切にしたい気持ち
・期待や責任
それらが絡まり合って、
余計に身動きが取れなくなっていく。
僕は、、、
その苦しさを、よく知っています。
「迷惑をかけたくない」
「これ以上、誰かを困らせたくない」
そう思う人ほど、
一人で何とかしようとしてしまう。
でも正直に言うと、
一人で整理するには、情報が多すぎるフェーズなんです。
「感情もある。」
「価値観もある。」
「未来への影響もある。」
それを全部抱えたまま
「さっさと決めよう」「動こう」とすると、
自分の感覚ごと、置き去りになってしまう。
もし今、
・婚活がしんどくなっている
・人と関わることに疲れている
・仕事で言葉が詰まる
・正解は分からないけど、このままでは違う気がする
そんな状態にいるなら——
それは、
あなたが弱いからでも、
考えすぎだからでもありません。
人生を誠実に扱おうとしているサインです。
無理に進まなくていい。
無理に答えを出さなくていい。
そのままの感覚で、
その止まり方ごと、持ってきてください。
テーブルの上でも、
画面の向こう側でも。
一人で抱え込まなくていい場所は、あります。
一緒に、
絡まったものをほどきながら、
「自分の感覚を含めた人生」に
少しずつ戻っていけたらと思っています。

「期待に応え続けた先にある息苦しさ」
☕️おわりに…
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もし今回のブログを通して、管理人・オヤマの視点に少しでも興味を持っていただけたなら、
ぜひ鹿児島カフェ会☕️で、直接お話しできる機会があれば嬉しいです。
あなたの“今、思うこと”も、よければ教えてくださいね✨

いつもこちらのブログを
読んでいただきありがとうございます。