📝はじめに…
こんにちは!
鹿児島カフェ会☕️管理人のオヤマです。
今回は、2025年6月6日(金)にふと湧いてきた“今、思うこと”を、ぽつぽつと綴ってみようと思います。
日々の中で見つけた気づきや、ちょっとした心の声を、ゆるく共有できたら嬉しいです。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます😊
【今、思う。】vol.5
「“あわない正当化”の4つの顔」
大人になるにつれ、かつて近かった人が急に“他人”のように感じることはないだろうか。
同級生、友人、先輩後輩、地元の仲間、元同僚――。
「結婚して忙しいはず」
「子どもが生まれたし、遠慮したほうが…」
「転職でバタついてるだろう」
「もう地元を離れたしね」
そのように感じた方々がカフェ会☕️に参加されるのも少なくはないと感じる今日この頃。
一方的に事情を妄想して、コチラからの連絡を絶つ。
“話しかけない理由”を作るこのクセを、僕は 「あわない正当化」 と呼んでいる。
漢字を替えると4つのバリエーションが見えてくる。
合わない正当化:価値観や生活スタイルがズレている気がして「もう合わない」と決めつける
↪「あの人とは話が噛み合わないかも」
会わない正当化:物理的に会う機会を作らず先送りする
↪「そのうち会おうね」で終わるDM
逢わない正当化:心でつながりたい相手ほど、傷つくのが怖くて逢うのを避ける
↪「久しぶりに逢ったら気まずいかも」
遭わない正当化:食らうダメージを想像して、そもそも“出来事”に遭遇しない道を選ぶ
↪「気まずい空気に遭うくらいなら…」
4つとも“自分を守るためのドラマ”だけれど、その物語が大切な関係の芽を摘んでしまうこともある。
最近ふと思った。
「合わない」と感じるのは、本当に価値観がズレたからなのか。
それとも“ズレたら怖い”という僕自身の防衛反応なのか。
もし後者なら、まずは“会う”こと、“逢う”こと、“遭う”ことを小さく試してみてもいいのかもしれない。
失敗したって、昔みたいに笑えるかもしれないし、笑えなくても “今の自分たち” を知るチャンスにはなるから。
『あなたが最近“あわない”と感じた相手は、どの漢字でしたか?』
“あわない正当化”をそっと横に置き、まずは1メッセージ送ってみる。
《それでも迷うなら、鹿児島カフェ会☕️で練習しませんか?》
気まずさも、再会の喜びも、みんなで味わえば少しだけ軽くなるかもしれません。
どんなあなたでも勇気ある一歩を踏み出す応援をさせていただきます☺️

☕️おわりに…
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
もし今回のブログを通して、管理人・オヤマの視点に少しでも興味を持っていただけたなら、
ぜひ鹿児島カフェ会☕️で、直接お話しできる機会があれば嬉しいです。
あなたの“今、思うこと”も、よければ教えてくださいね✨

いつもこちらのブログを
読んでいただきありがとうございます。